かつて、マチュピチュの名物の一つにグッバイボーイという少年がいたのをご存知だろうか。
私が初めてマチュピチュを訪れたのはもうかれこれ16年程前。
遺跡サイトとマチュピチュ村間を走るシャトルバスがあるのだが、そのバスを「バイバーイ!!」と手を振りながらひたすら追いかけてくる少年がいた。それがグッバイボーイ。S字カーブがひたすら続く山道は、遠くの景色を見つめていないとそれはそれは酔いそうにもなるのだが、そんな折、突如として現れるちょっとしたエンターテイメントがあった。小学生くらいの男の子が、「バイバーイ!」と叫びながら、手を降ってひたすら私達の乗っているバスを追いかけてくる。彼のすごいところは、一旦バスがカーブして姿を見失ったと思いきや、バスがカーブを曲がり切る頃、どこからともなく再び現れるのだ。観光客も皆びっくり。どうやら直線距離で山を駆け下り、先回りの術があるようで。最後はチップでも回収しにくるのだろうか、なんて思っていたら、案の定、バスの運転手もあっさりとバスのドアを開け、車内へ乗り込んでくる少年。そして車内では、お決まりの「グッバーーーーーイ!!!!!」という雄叫びでシメる。そこからお客さんにチップ回収し、彼の仕事は終了。そんな名物少年がいたのだ。
その後、歴代に渡り、グッバイボーイは現れ、マチュピチュ遺跡を訪れる際のちょっとした名物になっていた。
つい数年前までは、夏休みなどの休暇中などだけ許可された○代目グッバイボーイが存在したそうだが、今は危ないので禁止されているそう。私が16年前に見た少年は、いわゆる元祖グッバイボーイ?だったのか。今、あのグッバーボーイは一体どこで何をして暮らしているんだろうと、仕事で戻ってきたマチュピチュにて、再びお目にかかれるのかと楽しみにもしていた。今回一緒に仕事で同行をしてくれた現地ガイドさんに聞いたら、なんと、彼はここにいた。
現在、あのグッバイボーイは、20代後半の青年になっていて、マチュピチュ遺跡サイトの入り口で、お土産のポストカード売りをしていた。どうやら、彼は、観光客で溢れるこの遺跡入り口にて、ポストカード販売を唯一許可されている人らしく、それもこれも、長年に渡り、マチュピチュでグッバイボーイという名物アイコンを作り上げた本人に与えられた特権のようで。
立派な大人になっていた。
観光客はだーれも気が付かない。
こっそり、あなた、グッバイボーイだったんだってね?と声をかけたら、とても恥ずかしそうにうなずいた。あまり目立ちたくはないのか、こっそりと、「そうだよ」という感じで。何となく状況を察し、静かに一人だけ、記念撮影だけお願いすることにした。
時間も押し気味だったので、その場では騒ぎにならないようにし、マチュピチュを後にする。自分の中でこっそりと大切な思い出にした出来事。
*もしも、この記事を読んで、この先マチュピチュに行く機会がある方で、元祖グッバイボーイに声をかける際は、あまり騒がずに、こっそりとがよいかと思います。
「グッバイボーイ」という題を見てなつかしくてメールしました。 1997年2月日本国大使公邸襲撃事件のさなかおとずれました。リマには入れませんでしたが、クスコ、マチュピチュがその時の旅行で一番の思い出のところです。マチュピチュの遺跡に向かうバスから、「グッバイボーイ」が現れて手をふるのをみました。クスコからの列車で見た子供たちを忘れられません。線路に沿って何人もの子供たちが手を振り、列車の乗客の、列車の朝食として出たパンをねっだっている姿。少し大きな女の子はスカートの内側にポケットを付けパンをしまっていました。その後に男の子が山を下り、手を振るのを見ました。少しでも収入をと子供たちが頑張っていました。
私たちは、添乗員さんの山道を走って下りるというのに、一緒に連れて行ってもらいました。20分ほど走ったでしょうか。とてもたのしかったです。
現地ガイドさんが「フジモリのおかげで、貧しい人たちの生活も良くなった」と話していたのを思い出します。
又ペルーへ行きたいですね。