ハリケーンが去った次の日は、朝からけたたましく家の電話がなっていた。
お母さんも友人や家族、あらゆる所に電話をかけまくり、旧市街地区の様子、マレコン沿いの被害など全ての情報を電話から得ていた。
「電話」はキューバでは、大事なツールである。「セントロハバナの◯◯にトイレットペーパーが売っていた」「◯◯さんが、ソファーを探している」など多くの情報が、人から人へと伝えられる。キューバ人の繋がりは、驚くほど広くて強い。
家に戻るとお母さんが家中を掃除していた。未だに停電したままなので、明るい内に全ての作業を済ませなければならない。この日は途中から水が出なくなったので、貯めていた水を軽量カップ!?で汲んでシャワー代わりとした。扇風機が使えず、暑さに耐えられなかった私は水を温めずそのまま被った。
なかなかのサバイバル生活である!!
この日の夜も電気がなかったので、お母さんがひたすら電話で近所の人と会話するのを聞き、蚊に刺されるのが嫌な私は窓を締め切って寝苦しい夜を過ごした。
次の日は被害がひどかったマレコンから数ブロックの地域を歩いた。道路には水が溢れ、靴が汚れないよう歩くのに苦労した。荷物を抱えどこかに移動している人や、食料の買い出しをする人が多くいた。マレコン周辺には警察が集結し、交通規制や木の除去作業を行っていた。
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